2歳児が、あいまいなぼくらはたびにでようぜ、と歌う

くるり」といえば、1984年生まれの私たちの世代にとってはものすごく「あの頃」を感じさせるバンドだと思う。

私はそこまで多く聴いていたわけではないのだけど、それでも「ばらの花」を聴くと、ちょっと切なさで息苦しくなる。

www.youtube.com

 

最近、驚くことに2歳の息子がこの歌をよく歌っている。

始まりは「ムジカ・ピッコリ―」というEテレの音楽を紹介する番組だ。

www4.nhk.or.jp

音楽が失われた「ムジカムンド」という架空の大地を舞台に、

音楽の記憶を宿した「モンストロ」を探し出し、音楽の記憶を蘇らせる。

それを生業とする「ムジカドクター」やムジカドクターを目指す少年少女たちの物語だ。

独特な世界観で繰り広げられる、1回10分程度のストーリーの中で、楽器や曲、歌などの切り口でストーリーが進み、最後には登場人物たちがその日の曲を演奏して、歌う。

 

これまでのシーズンでは浜野謙太やムーンライダーズ鈴木慶一がムジカドクター役を務めたり、オダギリジョーが出てきたりする。最新のシーズンにはオカモトズのオカモトショウや東京事変のギタリスト長岡亮介などが出ている。本気、めっちゃ本気。

それから、豪華な出演陣だけではなく、みずみずしい少年少女たちの歌や演奏もすごく良い。

 

息子は「ピアノのやつ」と呼んで毎週楽しみに見ている。

そして4月から始まった新しいシーズンの第1回のテーマ曲が「ばらの花」だったのである。

息子はめちゃくちゃに気に入って、最低でも30回は録画をみている。

ちょうどくるりの「ワンダーフォーゲル」のレコードがうちにあったので、かけてみると、イントロが流れた時点で「あいまいなぼくらだっ!」と小躍りしていた。

 

それ以来、この曲を聴きたいときには「あいまいなぼくらは~?」と疑問形で聞いてくる。

 

歌うことが好きなようなので、お出かけに行くときでも、家で遊んでいる時にも、よく「あいまいなーぼーくーらーはーたーびーにーでーよーおぜー」と歌っている。

うまく聞かせようという気負いもまだなく、歌詞の意味も分からないので、「おもちゃのチャチャチャ」とか「チューリップ」と同じようなトーンで声を張り上げて、両手をぐるぐる回したり、体を揺らしたりしながら元気に歌う。

 

そして私は、どんだけ好きやねんバラの花と笑いながら、いつか始まる息子の旅を思って、いつもちょっと泣ける。

 

 

今週の気になったことば【2018/5/19-5/25】

良い言葉に触れて、その言葉の何が好きかを考えること、長らくやっていなかったところなので、週ごとでまとめていこうと思います。

 

今週は会社の広報を考えていたこともあって、色んな会社のHPなどで、企業理念やコンセプトを見ていた。自分が知っている個人や小さな事務所が中心になっているけれど、気になった言葉たち。なんだか今の気分を反映しているような気もする。

 

 

ー「おはよう」 「ありがとう」 挨拶は大きな声で、365日の気持ちのいい朝を作る―

goodmornings.co.jp

まるで小学校に貼りだされている生活標語のようだけど、これが会社HPのcompanyページに出てくると、爽やかで気持ち良い雰囲気や、「朝」からイメージする生活感も含めて、すごく新鮮に移る。この会社で働いているひとは、しゃんと背筋が伸びていてこだわりはあるけど、厳しすぎず笑顔、なんだろうなぁと思う。

 

 

「物語を紡ぐ」

僕たちの活動は物語の始まりの一節を紡ぎ出す事だと考えています。それは、その場所と向かい合う事から始まります。 向かい合う場所は様々で、時として都市の中のパブリックスペースだったり、大自然の中の小さな場所だったり、使われなくなった施設だったり、あるいは一枚の紙の上だったりします。僕たちはその場所と向かい合いながら、その場所が持つ様々な要素ー例えば光や空気。人の営みやそこにある自然。美しいものや醜いもの。その場所が持つ過去の記憶。それらを丁寧に拾い集めてその場所に物語を紡ぎます。紡がれた物語は、新たな人の営みを生み、さらに多くの物語を紡いでいくのです。

stgk.jp

「物語を紡ぐ」という言葉自体はありふれている。でもリード文の世界観が豊かだ。「一枚の紙の上」「光や空気」「美しいものや醜いもの」「その場所がもつ過去の記憶」自分たちの仕事を取り巻くものの切り取り方が情緒的でうまい。ですますを無くして、センテンス並べたら詩になる。そういう繊細な感受性で受け止めてくれそう。

 

 

Creative agency for  Explorers

私たちがいつも大切にしているのは、クライアントもクリエイターも垣根なく、同じ方向を見て一緒に走ること。たとえ行き先が宇宙の果てでも、予測のつかない未来でも。
山あり谷あり、いつだって笑い合いながら旅していたいのです。

loftwork.com

「冒険」という言葉の最大値としての「宇宙の果て」「先の見えない未来」。使い方によっては大げさになってしまうのだけど、「笑いあいながら旅をしていたいのです」でうまく着地して、人間サイズのワクワク感を盛り上げている。

 

 

つくるんちゃいます。

京の四季を盛るだけです。

www.tankuma.jp

京都の老舗会席料店「本家たん熊」のサイトからの一文。

謙虚にみせかけて、バッキバキの京都プライドが伝わってくる。京都で老舗でミシュラン二つ星という看板を背負ってこれを言われたら、はは~っと平伏してしまう。

いい一文なんだけど、HPのトップは文字が多すぎてちょっと残念。

「削ぎ落とす、本物が浮かび上がる」がトップのコピーのようだけど、「つくるんちゃいます。京の四季を盛るだけです。」の方が断然良い。

 

 

 

たまらなく

一途な人たちが

たえまなく

幸せでありますように

kaorinikaido.com

コピーライター二階堂薫さんの個人ページ。

「たまらなく」「たえまなく」この人の持っている包容力というか、人間愛みたいなのが嫌らしくなくほとばしっている。〇〇ですという言い切りじゃなくて祈りのような形にしてるのがいいんだろうな。「たまらなく一途な人たち」としているけど、内実はきっと「たまらなく一途なあなた」へのメッセージだ。でも「あなた」直接書くと愛が重すぎる。「人たち」とちょっと分散させてバランスを取る感じ、気持ちいい。

 

最も古い記憶の話

3歳くらいまでの幼児には、母親のお腹の中にいた頃の記憶があるのだという。

友人の子どもは「ママのお腹の中暗かった」「頑張って出ようとしたけどなかなか出れなかった」と結構詳細に胎内の様子を語っていたらしい。

 

2歳3か月の息子に「ママのお腹の中にいた時のこと覚えてる?」と聞いてみると「うん!」と勢いよく答えるではないか。

嬉しくなって「どんなだった?」とくい気味に尋ねると

「え~とね~、息子くんのぽんぽんはぱいーんで、ママのおへそがぷっぷくぷー」と自分が着ている服のすそをまくりあげてお腹を丸出しにし、ぽんぽん叩いて爆笑している。挙句「ぽんぽんマンだじょ~!!」と腹を出したままこちらに突進してきた。

 

息子よ、君が何も覚えていないということと、お調子者だということはよく分かった。

 

私も胎内にいた頃の記憶を、鮮明に覚えていた時期があったのだろうか。

自分の一番古い記憶はなんだろうとたどると、思い出すのはおそらく2歳になったころくらい、通っていた保育園の風景だ。

当時通っていた保育園の園庭の隅にプールがあり、そのプールを囲む塀と、園庭全体を取り囲む塀の間に、人が一人通れるくらいの狭い通路があった。

その通路の中ほどに立ってみた景色を、古い映像を見ている様に鮮明に覚えている。

両側が塀になっているためか、あまり光も入らず、雨が降ったあとなのか、水たまりが残っている。コンクリートの塀を割って、雑草が生えている。

私はその通路の中ほどに立って、塀に差し込む日の光をみていた。

 

その保育園には1年くらい通っていたそうなのだけど、その場所のこと以外は覚えていない。

先生のことも、お遊戯のことも、歌も給食もほとんど覚えていない。

けれど薄暗いその通路を思い出すと、怖いというよりはほっとする。もしかしたら、先生やお遊戯からはなれて、あの場所に逃げ込むような気持ちだったのかもなぁ。

 

息子の一番古い記憶は何になるんだろう。

覚えていようがいまいが、君はかつてぽんぽんマンだったのだ、という話はいつかしなければならない。

2018年になったのだし

2018年になったばかりの1月、大きなものから小さなものまで、30個くらいやりたいことを書いてみた。

最初は「今後の人生の指針を立てる」とひとまず意識高めのでっかいことを書いていたのに、10個を過ぎたあたりから、「新しい万年筆を買う」「ヒートテックを買い換える」「床にワックスをかける」「風邪引きたくない」「ビールを飲む」「ベランダの掃除」「借りパクしたままの本を返す」などただの日常のtodoリストと化していった。

日常のtodoリストを書き連ねた先に、なぜが「ブログを書く」というのが出てきた。

日常のtodoにブログが並んでいるのも悪くないように思ったので、ブログを始めてみます。

もう5月なんだけど。

 

これもただの思いつきです。